ベイカー街の亡霊 感想 【劇場版 名探偵コナン】

コナン映画6作目の「ベイカー街の亡霊」を観た。

一昨年2020年の巣ごもりの際にコナン映画が無料サイトで視聴でき、時計仕掛けから天国へのカウントダウンまで順を追って観ていたものの、途中で脱落してしまった。

Amazon Primeでも視聴不可だったため熱が冷めて放置していたが、昨年の映画を劇場で見てから再熱し、初期の話を中心にアニメ版を見るようになった。

この度Amazon Primeで全作品視聴可能になったので天国の次作、「ベイカー街の亡霊」を観た。

 

「ベイカー街」と冠しているだけあってコナン一行がロンドンへ行く話だと思っていたが、ゲームの中のVR空間で100年前のロンドンへ行くというのが斬新で驚いた。それも、カプセル内に入ることで自分たち自身がVR空間を体験するという、ちょうど20年前の2002年の作品とは思えない要素。その新しすぎるゲームに加えてそれを乗っ取る人工知能(人工頭脳)というのが攻めてるなあと感じた。

「日本のリセット」を掲げるヒロキくんもといNoah's Arkは、新作ゲーム「コクーン」の体験会に便乗して親の七光りのような子供たちの排除を図った。その際、ゲーム開発者の用意していない「お助けキャラ」をデータに仕込み、自らもゲームに参加した。実際は単なる懲罰ではなく、挑戦をさせ自分の力で未来をつかませることで「日本のリセット」を図っていた。という認識。

結局ヒロキくんの肉体は二年前に死んだものの、彼の分身そのものである人工頭脳"Noah's Ark"が魂として消滅することはなかったのでゲームに彼の意志が介入し、彼自身がゲームに参加していたのだろうか。この辺はあまり理解できていないから違うかも。

推理とかけ離れがちなコナン映画でガチの推理モノだという前評判だけ知っていて、他は何も知らない状態で視聴した。しかし現実の事件は視聴者がはじめから犯人がわかる構成だったのでそうでもないじゃんと率直に感じてしまった。ただ、教授を見極める場面、列車の乗客に扮したJTRを特定する場面、ゲームの突破法に気づく場面は推理が光っていたのでそこを指していたのかなと。こればかりは半端に前評判を知っていたのが面白さを半減させたかなと。最終局面の手に汗握る展開は本当に良かった。これはどの作品でもそう。正直コナン映画のいちばん好きな要素はコレかも。

少年探偵団が活躍するところも好きな要素の一つなのだが、この点は正直微妙だったかなと。彼らが自分たちにできる範囲内で行動したり、もしくは彼らならではの着眼点を発揮したりして、困難を打破したりその糸口になったりするのが個人的には好き。今作ではただ身体を張っただけで退場という印象でちょっと拍子抜けだった。

果敢な自己犠牲として尊いものなのだろうが、自分がゲームオーバーで離脱してもコナンが絶対にクリアしてくれ救ってくれるからというよりも、本能で動いている感じがして仮に現実でも同じ行動をとって普通に死ぬんじゃないかなと感じた。視聴中は「えーこんなあっさり消えちゃうの」となったし、視聴後の今考えてもモヤモヤが残る。

ほかに何をしていたかなと考えたところ、コナンが歩美ちゃんに上着を貸してあげるのに従って光彦は灰原に、元太は蘭ねーちゃんに上着を貸してあげるシーンがあった。コナンが終始白シャツでいたことでラストシーンの「血まみれ」がより映える演出になったのかなと感じた。これ探偵団関係ないじゃん。あとは頭数いたからホームズの手助けをしている子供たちと誤解させることに貢献したくらい?

諸星少年が一度は暴走したものの反省して株が上がったうえにコナンを奮い立たせるシーンもあってかっこよすぎるやん...となっていたがその正体はまさかのヒロキくん。このどんでん返しもいいねとなったが、参加した子供たちはみな何かを得て「リセット」のひとかけらとなったけど一番性格悪そうだった諸星は更生してなくない?

親子、血筋といったテーマもあった。

諸星をはじめとする親の威厳で将来が確約されているといった選民意識を持っている子どもたちや殺人鬼の子孫であることが世に知られるのを恐れ殺人に走った犯人。その殺人鬼は親に捨てられ親を殺した。コクーンの製作者とその息子である天才少年ヒロキ、そしてレアキャラ工藤優作とコナンといった二組の父と子。ヒロキの父を殺した犯人をコナンの父 優作が突き止め(ヒロキはかたき討ちと表現)、ゲームではコナンがギリギリのところでヒロキの仕込んだお助けキャラのおかげでクリア。メタ的な話に移ると、生まれや血筋が全てじゃないというテーマなら親に恵まれない人物を設定すればわかりやすくなるのに、すでにこの世にいない少年が仕組み、最後は人工頭脳とともに成仏するという構成にして下剋上や勧善懲悪のようなイメージを植え付けず社会全体としてよい方向に向かうオチにするのはすごいなと思った。

結局タイトルの「亡霊」はヒロキくんのことだったのかな。彼がコナンの正体に気づいているのは何故なのか、いつからなのかは考察ポイントかも。

 

 

 

 

 

 

 

まどマギ感想-2021.3

ずっと気になっていたけれど見られてなかったシリーズのひとつ『魔法少女まどか☆マギカ』のアニメ12話分を先日(2021.3.1)観終わったので感想を書きます。備忘録もかねて記憶の新しいうちにまとまった形で整理したかったのでブログに。

 

 

率直な感想

一言でいうと「理解はできるけど納得はいかないなあ」という感じだった。伏線の回収具合には圧巻で完成度が素晴らしいなってわかるけど腑に落ちないっていう感覚で、頭からは「すげ~」の信号が送られると同時に心からは「う~ん」の感情がこみあげてくるぐちゃぐちゃな状態だった。

普段は放映中のアニメの最終回とか金曜ロードショーとか見た後Twitterの反応とかいろいろ見ちゃうタイプだから、深夜1:30ぐらいに見終わったあと今日は何も情報を入れずに寝ようって思ってモヤモヤしたまま眠りについた。

 

事前知識

もともとop曲のコネクトは知っていて好きな曲だったのと、「日常ほっこり系と見せかけて実はダークで怖い表現が多い」って情報、3話ぐらいでマミさんってキャラが...って情報がかなり前から事前知識としてあったからさほど見ててびっくりする場面はなかった気がする。ただマミさんの例のシーンはあまりにもあっさり来たからそういう意味ではびっくりだったかも。

 

 

ざっくり流れに沿った感想

(引くほど長くなったから飛ばしても大丈夫)

 

3,4話くらいまで見たところで「あ、タイトルとOPのムービーに反してまどかはなかなか魔法少女にならない感じなのね」って気づいて、さやかが魔法少女になってからも そろそろなるのかな/たぶんこの流れでなっちゃうのかな→ならない が続いてそういうスタイルなのねと納得するまでが長かった。そこからのほむらちゃんが実は体を張って食い止めてた→実は二周目→いや実はn=3?,4?と展開していってなるほど~と。

 

6話7話くらいでさやかがまどかに対して当たりが強くなって今まででは見せなかったようなキツいセリフを吐いたところに変化が現れていた。それでも悪いことを言ったという罪の意識は確かにあるところで、体にも心にも異変が生じるんだなあと漠然と感じ取った場面で印象に残った。それまではマミさんや杏子やほむらちゃんといったすでに契約した者たちの姿しか見ていなかったから、まだその域に達していない人間が契約するとこうなっちゃうんだなあを感じ取った瞬間だった。

 

8-9話と杏子がさやかに対する向き合い方を変え、敵対→熱い友情っていうある種定番の展開を経て、キュウべえの策に嵌められ(救うことはできないのに)魔女化したさやかを救おうとして杏子がいわば無駄死に。キュウべえがほむらを窮地に追い込みほむらが時間遡行している事実にたどり着いたところでの10話。

 

その10話が凄すぎた。圧巻で凄すぎたしか言えない。ずっと謎に包まれていたほむらちゃんの真相が全て明かされた回。いままでも発言の端々に現れていた「あなた(まどか)のために」は過去の第一,第二...世界で救えなかったまどかの命をなんとしてでも守るためにループして戦い続け失敗し続けてきたからね~と納得。何度目かの世界(現世の一つ前?)ではまどかが自らを犠牲にして本人の口からあなたには可能性があるからやり直してほしいと頼まれたのに、いざ戻ってみると何にもわかってくれないしすぐ魔法少女になろうとするから確かにやるせなかっただろうなあと感じた。個人的には途中まで見ていてほむらが使命感に駆られてやってるんだろうなあと思っていたら、本人に直接頼まれていたのが意外だった。共倒れから再起しようとしたらほむらがまどかの息の根を止める行動をとらないといけないからかな。

1話を見たのがかなり前だったので途中どこかで見返さないとなあとは思っていて、ちょうど10話を見終わった段階で見返した。タイミングがどんぴしゃだった。学校のシーンだとかまどかの夢のシーンだとか見事に綺麗な対比構造になっていて感動。転校生で注目を浴び委縮していたところをまどかが助けてくれた過去と、冷徹な雰囲気を醸してまどかを名指しし積極的に迫る謎の転校生になっている一話。「ほむら」という名に名前負けしているのではと案じる過去と、自分がかけがえのない人々に囲まれた大切な存在であることを強い口調でまどかに再確認させる一話。ラストバトルでほむらが窮地に追い込まれてまどかが契約を結んでしまうシーンも、「契約を結んではいけない」と必死に叫ぶところが一話でまどかが見ている夢ではほむらの声が意図的に消されていて助けを求めているようにすら見える演出。対比構造がきれいな現代文の文章みたいですごいなあと。

 

印象的だったポイント

全体で強調されていた「かけがえのない自分という存在を無駄使いするな」というメッセージ。何の取り柄もない平凡な自分から、友人や家族や世界を守る存在へと変われるトリガーとなる"契約"はあまりに魅力的に見える。ただ、あとから知ることになるが「魔法少女になる=自らを犠牲にする」が成り立つ以上、自身の覚悟だけで済むものではなく誰かを悲しませることになる。何も持たない平凡な存在でも自分のことを大切に思っている人がいる点を丁寧に扱っているのが良かった。大人とは何たるかを母から聞くシーンが節々にあって、ラストで行動に移す直前で母に止められた際(ここで立ち止まらせる演出も好き)、自分なりの確固たる結論を出してきちんと親を納得させて進んだところにモヤモヤ期からの変化が出ていて良い。

 

キュウべえはずるい。かわいい見た目で声もいいから憎めない。真実に気づきだした少女たちは目の敵にしても第三者視点から見ている自分としてはなんか憎めなくてずるいなと。主人公に感情移入していたらキュウべえを殴りたくなるかもしれないが、個人的には感情がないなら仕方ないかという感じで、終始あの声で論理的にしゃべるからスッと耳に入ってきた。残酷な世界の仕組みも可哀想だけど理解はストンとできた。エントロピーの話は勉強したはずなのにわかんかったけど。子供から大人への過渡期でもあり、魔法少女になる/ならないで悩んでどっちつかずでいて、すでになってしまった友人との関係に悩み世界の不条理を知って苦しむまどかと、感情を持たず淡々としていてさらに死んでも次がいてというキュウべえも対比になっているなあと。

 

最後にまどかがとった行動もすごい。ほむらちゃんがまどかを救おうと何度も失敗を重ねるあまりかえってまどかに重いものを背負わせてしまうという絶望的な状況。「頑張りを無駄にはしない」というありがちな発言ながら本当に”頑張りがあったからこそ”できた一手でひっくり返したのは圧巻。「お願いを叶えてもらうかわりに魔法少女になれる」という作品の一番わかりやすいテーマも最後に踏まえられていて、魔法少女ってタイトルなのに魔法少女にならないんかい!が一番最後に一番強い願いで回収されているのもすごい。

 

ただ気になったのが、結局まどかが犠牲になってるじゃん(本人は犠牲と思っていなくて自分の出した結論に満足しているんだけども)ってモヤモヤしてしまったところ。絶望の物語である以上全員が集まって笑って終わるようなハッピーエンドがないのは仕方ないんだけどやっぱりモヤっとしてしまう。最終盤の映像を見ている最中どうしても作者が透けて見えてしまって、作者が作り上げた絶望の連鎖の世界に登場人物を迷い込ませてるのがいじわるだな~と感じてしまった。そんなことを言い出したら創作を全部否定しかねないから暴論なのはわかっているんだけども、でもな~と悶々としてしまった。そういうジャンルの作品の一つと受け入れよう。

それと、因果律をぶっ壊している割にインキュベーターが何らかのエネルギーを回収し続け、そのためにほむらちゃんが戦い続けるシステムは変わらないんだっていうところがモヤモヤのもうひとつ。キュウべえの唱える物理法則まで破壊して平穏を生み出すことはできなかったのかなとなった。人間の負のエネルギーを回収して人間もハッピー、インキュベーターもエネルギー問題に困らなくてハッピーのwin-winなのかなあ。このへんは理解が甘いからなんとも。

 

ともあれめちゃくちゃ面白い作品だったから見られてよかった。

 

 

 

 

全然関係ないけどシャフ度がめちゃくちゃ多かったのも面白かった。

 

 

余談

(※ポケモン剣盾のネタバレ有)

 

 

キュウべえの存在はポケモン剣盾のストーリーに出てくるローズ委員長に似ているなあって核心に触れだしたあたりから感じていた。剣盾のストーリーでも将来的なエネルギー供給のためにはこの手段をとらざるを得ないんだと、わざわざチャンピオン戦を中断して大きな犠牲を払いかねない行動をとる。まるで感情がないかのように。その計画は失敗しエネルギー供給の源と見込んでいたムゲンダイナ(これも化け物と化した魔女がエネルギー源なのと似ている)が暴走するも、主人公がジョーカーを切ることで解決に至る。パッケージの「剣と盾」の伝説ポケモンがここで登場するんだ~というのも、「魔法少女まどか☆マギカ」でまどかが最後の最後に魔法少女になるって展開も、なんか似てるなあと感じた。